いわしはだいだい昼寝をしている

まとまりもとりとめもない脳内爆発日記

フィルターバブルと個人の時代

最近、アイドルが歌うポップにも自分らしく生きよう、とか、他人に人生を左右されるな見たいな歌詞が増えたような気がする。


欅坂とかはその典型だし、ついに乃木坂までもそういう曲を歌い始めた。




個人の時代の到来を予期させる内容であるが、歌われていることをそのままに取ると現実世界ではちょっぴり浮くような気がしている。


現実はそんなに単純でないし、そんなに単純だったら誰も苦労しないのである。


一方でオンラインの世界では、アルゴリズムによってある意味快適な世界が造られようとしている。有名な概念としては、フィルターバブルが挙げられるだろう。


フィルターバブルとは、インターネットの検索サイトが提供するアルゴリズムが、各ユーザーが見たくないような情報を遮断する機能」(フィルター)のせいで、まるで「泡」(バブル)の中に包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなること、である。


オンラインの世界の支配原理は、アルゴリズムであり、それが行動の大部分を規定する。よって見たくないものを見ないようにするのも可能になる。例えば、人間関係が顕著に現れるフェイスブックでも、アンフォローをすると友達としてつながりは保てる一方で、フィードからその人の投稿を消すことができる。


その結果、ネットの世界は快適になったのか、というと決してそうでもない。エコーチェンバー現象と言われるように、ネットの世界は自分自身に心地よい意見や考えを増幅させるような世界になってしまった。


これが良いか悪いか、はわからないが個人的にはあんまり人間的でないような気がする。自分の好きなものだけをして生きていくのには良い世界になりつつあるけれど、自分に心地よい意見以外を排斥することと、意見を認識し、理解するけど、共感しないことは似ているようで大きく違うのである。多様性を叫びつつ、自分はフィルター越しに世界を見る、なんてことがないようにしたい。