いわしはだいだい昼寝をしている

まとまりもとりとめもない脳内爆発日記

お金はコミュニケーションコストを0にしたものらしい

朝から目ん玉が飛び出るようなエントリーを見つけてしまった.

お金とはコミュニケーションコストを0にしたもの。

前に家も金も仕事もない状態で、二年間放浪の日々を過ごした。あの頃、わたしは何を学んだかってそれは『謙虚さ』だと思う。ある人が、私の生き方を見て「お金って、コミュニケーションコストを0にしたものなんですね」と言った。これ、非常に興味深い指摘だと思う。お金があれば、ホテルに泊まることも食事をとることもすぐにできる。誰に会うか、誰を避けるか、それを選ぶことができる。逆に、お金がない場合、誰かに「食べ物をください」とか「家に泊めてください」などとお願いをする必要がある。誰に会うか、誰を避けるか、などを選んでいる場合ではなくなる。結果、あらゆるひとを受け入れる度量を持つ必要が生まれる。結果、私は、前よりも少しだけ謙虚になれた

 [中略] 

 

お金がある限り、誰一人必要とすることはない。お金がないとき、私は『他者を必要とせざるを得ない』状態に置かれた。

ibaya.hatenablog.com

・共感できる

確かにその通りだと思った.留学していると仮定してみよう.たとえ英語が不安でもお金さえあればエッセイは業者に頼めるし,自分で書いたとしてもProof reading(添削)を業者にお願いできる.一方で,お金がない(と,いうか普通の場合は)コミュニケーションの過程で生まれた英語が得意な友達にお願いをして...みたいな形になる.

旅行をしているのであれば,その旅行をしている国に友達がいれば泊めてくれるかもしれないが,コミュニケーションを引き受けなくてはいけない.それが嫌ならお金を払えば,ここで指摘されているようにコミュニケーションを限りなく0に近づけることができる(ようはホテルに泊まるということだ).

どちらがいいとか悪いとかの話では当然ない.両者を自由に行き来できる人が個人的にはスマートだなと思う.蝶のように舞,時には蜂のように指したいというわけである.