いわしはだいだい昼寝をしている

まとまりもとりとめもない脳内爆発日記

いわし日報 11/26 朝刊: 恋愛するとき告白はNG?

おはようございます。いわし日報の時間です。

今日はやっとweek dayですね。なんだか久しぶりな感じがします。全然嬉しくないのだけれど。それでは今日の刺激的なトピックスです。

恋愛するときは告白からはNG?

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見かけ次第片っ端からレッドカードを突きつけていく 

 刺激的すぎて卒倒しそうですが、要するに「常識を疑え」ということでしょうか。おそらくケースバイケースで告白を待ってそうな人にはスマートに告白するべきで、そうではない人には別なアプローチがあるよ、ということが刺激的に過激に書かれているだけですよね。理解力の乏しい僕はそう感じました。難しいな〜。

自殺を決行した話

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今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。

刺激的な書き出しですね。明治期の文豪によるものかと空目しました。

「少なくとも残り38年、あるいはそれ以上、奴隷として働かなければいけない」という絶望感があった。ぼくはそこまでして生きたいと思っていなかった。好んで死にたいわけではなかったが、人生に目的が本当に何もなかった。ただ言われるがまま、子どもは学校に行くもんだという指令のもとに生きていた。こうした呪縛から解き放たれて自由を得た代わりに、選択肢が何もないように感じていた。「働いて、生きて、それでその後は?」「何十年も生きて、それでその後は?」「生きていれば楽しいこともあるだろう。それでその後は?」「たとえば何かしら名声を得るとして、それでその結果何が得られるのか?」という風に感じていた。すべての物事が人生の最後にどう意義深くなるのかを考えていた。こういう考え方は、防衛機制の知性化というらしい。

おそらくほとんどの人が自分の中に小さな自分がいて、こういうことを言っていますよね。僕も例外ではありません。

そうした生活によって金が尽きる前に、母親が迎えに来た。ぼくが携帯電話の電源を切っていたので心配になって見に来たということだった。ぼくは「失敗した」と思うと同時にそれを拒絶した。「現実がやってきた」というふうに感じていた。未来への思考をしないようにしていたところに現実を考えなければいけないトリガーが出た。死を保留することがもうできなくなったと考えて、ぼくはすぐさま死ぬことを考えた。急いで財布だけ掴んで家を飛び出し、ネカフェに3日ほど滞在したあと、富士山の樹海で首を吊るのがいいんじゃないかということで、なけなしの金をはたいてぼくは中央線に乗り込み、最後の晩餐として、いくらかの酒やお菓子や食べ物やビニール紐と睡眠導入剤を買い込んで、残金がほぼないような状態で、河口湖駅へついた。そこからバスで民宿方面へ向かった。民宿の予約はしていない。 

行動力が素晴らしいですね。目的へ向かう力が他のことに活かせたら...と思いますが、当人にはそれどころではありませんよね。

この経験以来、ぼくは「あのとき実はすでに死んでいて、今も実は死んでいるんじゃないか」という感覚がある。いつかあるとき、今生きていることは夢だということで目が覚めて、あの飛び込んだときに戻るのではないかという感覚がわけもしれずある。当時の体験は2chの関連スレにそっと書いていたが、あまり読まれることもなくひっそりとスレの中に埋もれていった。基本的にみんな他人には興味が無いのだ。 

ニヒリストやなあ...

とてもうまい文章ですね。こういう文章を書きたいな。とてもロジカル。ロジカルライティングの講座でも受けたのかしら。

今日も頑張って生きていこう。