いわしはだいだい昼寝をしている

まとまりもとりとめもない脳内爆発日記

SNS時代の病理

「君に友だちはいらない」と言う本を読んだので、そのレビュー記事や他に人の感想を読んでいた。その中にいい文章があったのでシェア。

「フェイスブックの友だちは選んだほうがいい」とツィッターで以前私が書いたところ、少なくない数の人の賛同を得た。なぜフェイスブックでは友だちを選んだほうがいいのか。それはフェイスブックの友だちにどんな人がいるかで、その人の評価が決まってしまうことがあるからだ。今ではビジネスで知り合った人が、どんなバックボーンを持った人なのかを知るために、フェイスブックでその人のプロフィールを見るのは当たり前の行動になっている。で、怖いのは、プロフィールに出てきた「友だち」に「痛い人物」が含まれていた場合、その人も「痛い」と判断される可能性が高いことだ。つまりその人のまわりにどんな人がいるかによって、その人物のパーソナリティがくっきりと明確に浮かび上がるのである。古くから言う「類は友を呼ぶ」ということわざは本当なのである。フェイスブックで無闇に友だちを増やすのが考えものなのは、それが大きな理由だ。同じくネットサービスのツイッターも、「誰をフォローしているか」見ることで、その人物の思想や知的レベルをかなりの部分類推することができる。ツイッターで誰をフォローするかは、個人の完全な自由であるがゆえに、タイムラインがその人の価値観を反映する。ツイッターではよく事実無根の情報が拡散して問題となるが、そのような「デマ」に踊らされる人は、ダメな情報しか集まってこないような環境を自らが作っているだけなのだ。これは現実の世界でも同じことが言える。ダメな奴とずっと同じ時間・同じ場所で過ごし、ダメな情報ばかりに囲まれていると、自分もその水準になってしまうことは避けられない。

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「持っているものが多いこと」が貴いのではなく「必要なものが少ない」のが貴いのである。仲間についても同じだ。仲間の数を増やすのではなく、少数の仲間の質を追求することが、肝要となるのだ。 

 これはぐさっと来ますね。僕らはいつも数が多い方がいいと思いがちですが、本質はそうでないと教えてくれます。

SNSで、友だちの数を競ったり、ライン(メッセンジャーサービス)の既読に一喜一憂したり、居酒屋やシェアハウスで、愚痴を言い合ったり、そんな、「友だち」ごっこは、やめにしないか、人生の無駄遣いである。 

ヒヒイ...気をつけます。